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X-1(エックス-ワン)は、日本の総合格闘技大会。2003年9月6日、神奈川県横浜市の横浜文化体育館で開催された。 == 大会概要 == プロレス団体の主催であるが、ルールはいずれも総合格闘技ルールである。ブライアン・ジョンストン、マサ斎藤、長州力が大会をプロデュースした〔長州「逆方向の"ど真ん中"行く」 健介「プロレスがNO.1じゃないと」 スポーツナビ 2003年7月10日(インターネット・アーカイブによるキャッシュ)〕。試合場は6.5メートル四方のリングに高さ約180cmの四角形の金網(ケイジ)を設置したものが使用された。試合時間を3分3ラウンド(第8試合のみタイトルマッチとして3分5ラウンド〔健介 総合でもラリアットで倒す X-1へ武者震い スポーツナビ 2003年9月5日(インターネット・アーカイブによるキャッシュ)〕)と非常に短く設定し、膠着状態には10秒程度でブレイクをかけイエローカードを提示し、カード3枚で失格となる等、アグレッシブさをより強調させる大会となった〔健介も金網に身震い X-1のケージを披露 スポーツナビ 2003年9月3日(インターネット・アーカイブによるキャッシュ)〕。 15歳での総合格闘技デビュー戦となる中嶋勝彦の対戦相手として当初はリキッド・ロブが予定されていたが、ロブの負傷のため対戦相手がジェイソン・"ゴールデンボーイ"・レイに変更された〔X-1がK-1に招待状「サップにX-1を見てほしい」 スポーツナビ 2003年8月26日(インターネット・アーカイブによるキャッシュ)〕。 ファイトマネーとは別に、勝利者賞およびKO賞が用意された。 当時総合格闘技イベントPRIDEが人気を博していたことを背景に、興行の不振に悩んでいたWJプロレスが打開策として開催。WJプロレスの永島勝司専務取締役は、いずれ回を重ねて東京ドームで開催できるようなビッグイベントに育てる意向だったという。しかし、会場は5割の入りで空席が目立ち、内容的にもイベント中に金網が外れたり、レフェリーが不手際を見せるなど運営に関する問題点もいくつか存在した。こうした不手際や出場した選手も無名でレベルが低かったことなどが酷評を受け〔後にUFCのトップ戦線で活躍するジョン・フィッチなど大会後に結果を残した選手も出場しているものの、出場した当時は無名であった〕、大会は1度のみの開催で失敗に終わった。永島勝司は失敗の理由を、プロレス団体で格闘技のノウハウがないにもかかわらず、ジョンストンからマサ斎藤に話を持ちかけられたのが5月で準備期間が4ヶ月しかなかったことを挙げている。興行的な失敗のみならず、プロデューサーの立場にありながら、一言もコメントを残さずに会場を後にした長州力の態度に、準備不足のまま出場した佐々木健介は激怒し、団体内に禍根を残すことにもなった〔永島勝司『地獄のアングル プロレスのどん底を味わった男の告白』イースト・プレス、2005年、p139-p169〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「X-1 (総合格闘技)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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